心を健全に保つためには

私たちは「肉体」と「精神」の調和で生きています。それぞれは相互作用を起こすものです。身体が不調だと、精神的にも影響します。また、精神の不調は肉体に影響します。

私たちの心と肉体とは、「神経」で繋がれているのです。肉体的に心地よいことで、精神に対しても良い影響があります。痛みがストレスになるのは、そのためです。心と身体は生きている限り切り離すことは出来ません。私たちが「体調を管理する」ことは、心も健全に保つことでもあるのです。

社会は必ずしも自分が心地良いようには出来ていません。社会は「大多数」の「平均」によって形成されたものです。具体的なようで具体的ではない「みんな」が、調和するために用意されたものです。私たちは生きていく中でさまざまなストレスに出会います。それらは誰もが同じかもしれません。社会的な立場もさまざまです。その組織の中ではただ一人だけが楽しいだけで、あとは全員ストレスを感じていることもあるのかもしれません。

ですが、それらのことを乗り越えて私たちは「心」を健全に保つ必要があります。誰もがイライラすることがあります。誰もが悲しむことがあります。私たちはそのようなことを誰もが等しく甘受しなければいけないのです。何も感じない、心地良いだけの社会などは、そんな生活は、あり得ないのです。それらのことを乗り越えて、噛み砕いて、私たちは生きていく必要があるのです。

肉体に休息が必要なように、心にも休息が必要です。常に張り詰めていては、とても心が持たないのです。それぞれが自分の心を癒すための方法を持っていなければいけません。それは人によって違います。テレビを見たり、音楽を聴いたり、誰かとおしゃべりをしたり、趣味に没頭したり、それはさまざまです。私たちはそのようにして心を「充電」する必要があるのです。それがうまく出来なければ、「ずっとストレスを溜めたまま」になってしまいます。それでは、心が疲弊してしまうのです。

ストレスは思わぬカタチで肉体に影響します。ストレスを溜め込んでお腹を壊すなどといったハナシをよく聞くものですが、それだけではないのです。それは人によっても異なるのですが、仕事の能率が上がらなかったり、何も食べられなくなったり、さまざまな弊害が現れます。肉体までも疲弊し、それがまた精神に悪影響になる。そのような悪循環になりかねません。

さまざまな抑圧があります。私たちはみんな何かに悩んでいます。それでも生きていく必要があります。それでも前を向く必要があります。私たちは常にそのようなことと隣合わせなのです。常に何かと戦っているのです。ですが、そんな中でも心を充電することはできるはずです。自分なりの方法で、リラックスすることができるるはずです。それが私たちに必要なことです。休む間を惜しんでがんばることも時には必要かもしれません。ですが、それは一生続けられることではないのです。絶対に心の充足が必要です。それが何によってもたらされるのかは、自分しかわかりません。

肉体と精神が健全であること、それが大切です。厳しい世の仲を元気に渡っていくために必要なことです。私たちはみんな同じ境遇なのです。

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