完璧な人間などいない
人としてどう在るべきかということは、生きる上での課題です。それは「自分はどんな人間か」ということを考えるということです。私たちがそれぞれ持つ価値観はさまざまです。好みもバラバラです。だから「何が正しいのか」ということに対する答えはなかなか出ません。
私たちはさまざまなことに考えを巡らせます。それは自然の法則や目には見えない心理を探る学問の探求であったり、自分が楽しいと感じる物事の追求だったり、仕事のことだったり、家族のことだったり、さまざまなことを考えます。何も考えない日というものはなかなかないもので、休日であっても私たちは何かを考え続けています。そんな私たちですから、「自分がどう在るべきか」と考えないほうがおかしいのです。
人と比べるということを、私たちは無意識のうちに行います。誰かとくらべて自分が劣っているのではないか、誰かとくらべて自分は何が誇れるのかなど、「誰か」がいなければ指標が作れないのです。もちろん、自分の価値観を指標にすることもできます。ですが、社会の摂理は「相対的な評価」であり、「比べる」ということは何かを測るときにはもっとも多く用いられる手法でもあります。だから自然と自分と
誰かを比べることになるのです。
その結果自分が明らかに誰よりも劣っていたり、明らかに足りない点が多い場合は、それが「劣等感」に繋がってしまうこともあります。そのようなコンプレックスは、自分の悩みのひとつとして、ウィークポイントとして、心にストレスを与え続けます。「もっとこうだったらよかった」と、どうしようもないことを嘆くのです。
ですが、「完璧な人間」などは存在しません。何もかもがうまくいき、何もかもが誰よりも優れているなどという人はいないのです。それは、「人によって大切にしていることが違う」からです。価値観が違うからです。万人のなかで自分はあらゆる点において優れているなどということは、まずあり得ません。測れません。
生きていくうちに、なんとなく自分のことが自分自身で理解できるようになるものです。それは「自分はこういう人間なんだ」と、周囲の反応などで自覚していくということです。その中に「軸」があれば、それでいいのではないでしょうか。何か大切にしていることがあって、自分が決して誰にも譲れないことがあって、それさえ守れていれば、人がどういおうと自分自身が納得することができれば、それでいいのではないでしょうか。
誰かと自分を比べてしまうことはよくあります。ですが、その比べた相手もこちらに対して同じことを考えているのかもしれないのです。お互いに大切にしていることが違って、それぞれがそれぞれに対して羨望しているかもしれないのです。「完璧」とは、「自分にとって完璧」ということであって、誰もが見て完璧な人間などは存在しません。そして誰もが「もっとこうしよう」であるとか、「こうなりたい」と考えているのです。それが日々のモチベーションになっているのであれば、それはそれでいいのではないでしょうか。「自分はダメだ」と考えることは簡単です。ただ、「これ以上伸びない」と考えることはよくありません。人間とは、死ぬまで成長するものだからです。