コミュニケーションは難しい

私たちは言葉を使いこなしながら生きています。言葉はさまざまな情報を互いに理解できるカタチに変換するツールでもあります。それはそれぞれの共通認識によって得られる「相互理解」を生みます。

言葉を用いて誰かとやりとりをすること、意志の交換、意見の交換、情報のやりとりをすることが「コミュニケーション」です。コミュニケーションは私たちが人間として活動するうえで最も重要な行動のひとつです。私たちの社会では人が一人だけで生きていくことができなくなっています。私たちはみんなが作物を育てているわけではありません。みんながコンピュータープログラマーであるわけでもありません。それぞれ自分が携わる分野を突き詰めて、専門的に生きているのです。

私たちが特化し、日々追求していることは「仕事」といえます。私たちはそれぞれの役割を果たしながら対価を得て、それを消費して生きているのです。「貨幣」という共通価値を持ったものを媒介にしながら、日々の自分の取り組みを「価値」に変換し、その「価値」をまた別のものに置き換えることで、豊かな暮らしを実現しているのです。

それらの活動の中心にあるのはやはり「コミュニケーション」です。相手と言葉を交わすことは私たちに最も必要とされる技術です。私たちは日々誰かとコミュニケーションしています。それは実際に口で言葉を発することだけではありません。「百道」を媒介にしてコミュニケーションすることも多いです。そして、何よりも日々の活動自体、その痕跡自体が相手とのコミュニケーションになることもあります。

たとえば「仕事」では、自分が関わった工程の後に誰かが次の工程に入るような場合、自分の仕事は相手に伝わるものです。自分がしっかりと仕事をしていなければ、相手が困ってしまうのです。「責任を果たす」こと、それも一種のコミュニケーションです。自分が座っていた電車の座席を汚してしまうと、その後に誰かが不快な思いをする、だから汚さないようにしようということも間接的なコミュニケーションです。

他者に何か影響を与えること、他者に影響を及ぼすすべてのことがコミュニケーションになっているのです。ただ言葉で説明するだけでは済まないなにかが、私たちの行動の中には秘められているのです。そのような意味では、私たちは存在していること自体でもうコミュニケーションを避けられないということになります。誰かになにか影響を及ぼしている時点で、コミュニケーションをとっているのです。

だからこそコミュニケーションは難しいのです。悩むのです。人によって価値観も違います。考えも違います。人によって境遇も違うのです。それらの人々と関わっていくことが「生きること」でもあります。私たちはコミュニケーションからは逃げられないものです。だから時には疲れ、ときには悩み、どうしたらいいかわからない局面に遭遇することもあるのです。

コミュニケーションによってもたらされるものは全てが建設的なわけではありません。時には誰かが悲しむようなコミュニケーションも存在しています。それらのひとつひとつを乗り越えて、私たちは生きているのです。悩みながら、今の時代を生きているのです。

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