カウンセラーも人間
「考える」ことは別に人間だけの特権ではないはずです。他にも高度な知性を持った動物はいて、コミュニケーションをとりながら「狩り」をするイルカや子に狩りを教える肉食獣なども存在します。
それらのさまざまな動物の中で私たちが優れているのは、「社会」としてある程度生きている枠組みを形成していることです。私たちは「みんな平等なんだ」という規範を持ち、人としての社会を維持するための規範を次世代に継承していることです。生まれたばかりの人間はさまざまな動物の中でも特に非力です。自分で捕食することもできなれば、話すこともできないものです。ただただ守られなければ生きていけないものです。そのような存在で産み落とされる私たちは「社会」によって育てられ、これまで蓄積された技術、発展した文明の恩恵を全身に受けながら成長するのです。
それは100年前と現在としては違う恩恵で、日々進化している社会や技術を「その時点」で享受できるものだからです。私たちは平等です。世代や性別関係なく平等です。ですが、私たちが生きる社会は常に成長しているものなので、産まれる時が違えば得られる恩恵が違うとうことなのです。それがある意味「世代のギャップ」を産むのかもしれません。「価値観」の違いを生じるのかもしれません。また、私たちは「考える自由」をそれぞれが持っています。どのようなことを好んだり、どのようなことを望んだりしても良いのです。ただ、社会を乱さないように、「法律」と「道徳・倫理」というものでそれは縛られています。そこからはみ出してしまうと、社会的には「悪」とされ、制裁を受けることになります。
つまり、私たちは「自由」でありながらある程度は社会で定められた枠組みからはみ出すことはできないということになります。そこに「悩む」人も多いです。例えは、生きていくためには「お金」が必要なのは現在の社会が資本主義であるから゛てす。誰もが働いて稼ぐ「義務」を負っているようなものなのです。
それらのさまざまなことに対してそれぞれの悩みを持つのが私たちで、時には「誰か」に助けてもらわなければ前に進めないというようなこともあるのです。その「誰か」も、人間です。自分と同じように考え、悩み、生きている「人間」なのです。カウンセラーは神様ではなく、自分と同じ人間なのだということ、自分を助けてくれる知識と技術はあっても、「完璧ではない」ということを知らなければいけません。
私たちが生きている社会は資本主義です。だからといってお金を払えばなんでも手に入るということでもありません。今の世の中は誰かと関わることで循環しています。それぞれが自分の人生を生きていて、それぞれが、自分が幸せになるために、自分の大切な人を幸せにするために、必要だと思うことを実践しているのです。そのような社会の中で何を考え、どんな行動を起こすかは私たちの自由ではありますが、度が過ぎると人に迷惑をかけたり、法から外れてしまったりするのです。
そのようなことになる前に、誰かに相談する必要があるのです。その「誰か」は、人を導くための一定のノウハウを持ち、誰かを救うための経験を持ち、同じように悩んだ人を見てきたエキスパートであることが推奨されます。