カウンセリングに期待できること
カウンセリングは魔法ではありません。何度カウンセリングを受けても、現実は変わりません。自分がおかれている境遇、起きてしまったことは変えることができないのです。
カウンセリングに期待できることは「考え方を変える」ということに尽きます。考え方を変えれば、同じ物事でも今までと違って見えるものです。今までは見るのも辛かった、聞くのも辛かったことが、精神に対して大きな負荷になっていたことが、考え方、捉え方を変えればそのような重荷にならなくなるのです。
私たちは何かに対して「苦手だ」とか「無理だ」と一度感じてしまうと、その印象がずっと続くものです。また同じような辛いこと、苦しいことを繰り返すこともしたくないものです。私たちは「学習」することができます。一度転んでしまった場所で、また転ばないように工夫したり回避したりすることができます。それが「苦手」なものを避けるといったことや、「見たくない、考えたくない」ことを意識の外に追いやるということを招いているのです。
通常であれば、それは私たちがそれぞれ備えた防衛本能のようなものですから、それでいいのです。一度転んだ道を回避したり、注意したりすることは、学べる人間だからできることです。ただ、それがどうしても避けられないようなこと、社会生活に支障が出てしまうようなことであればハナシは別です。生きていく以上、どうしても避けられないようなことなのであれば、私たちはそれに向かって立ち向かう必要があるのです。克服する必要があるのです。
そのようなときに力になれるのがカウンセリングです。カウンセリングではハナシを聞いて、なぜそのような状態になってしまったのかを探るところから入るのが通例です。それは第三者の手によって自分がなぜそれが「苦痛」なのかを整理することでもあります。そのようなことを経ることで、「原因」と現在のような状態にいたってしまった経緯がわかるものです。それらを整理することで、心のどこかに刺さっているはずの「トゲ」を探すのです。
カウンセラーは学術的にそれらの行為を「治療」として行えるエキスパートです。私たちの心の変化、今の心境などを考えてくれる専門家です。心のなかでがんじがらめになってしまって、自分のなかでどのようなプロセスでそれが「障害」になってしまっているのか、自分自身ではなかなか理解できないものです。なぜなら、その物事に対して考えることすら避けているからです。私たちの防衛本能はそのような思考にまで及び、「考えたくないことは考えない」ということを実現することができるものなのです。
ですが、それではいつまでたっても支障があるままですから、「解決しなければ」と心のどこかで思っているのです。自分だけではどうにも出来ないということも、冷静に判断できるものです。このままでは日常生活に支障が出る、このままでは社会に参画できなくなる、そのような自覚が持てれば、カウンセリングは受けられます。それはある意味で自分を変えるための行動ですし、逆に言えば「どこかで歪んでしまった」自分の心、自分の精神を正常に保つための行動でもあるのです。自分のため、自分に関わる人のためにも、そのような決断は重要なのです。