完全な解決などはない

どのような状態になれば「安定」を得るのか、それはわかりません。人の境遇はさまざまで、「今が幸せだ」と感じることもあれば、「今は不幸だ」と感じることもあります。

人は飽くなき欲望を持っています。「欲」は良い意味で言えば「モチベーション」になります。悪い意味では「コンプレックス」になります。欲望や願望は、それが満たされれば充足感を得ることができますし、満たされなければそのままフラストレーションになってそれを追い求めたり、逆にもう考えないようにしたりします。そして、一旦満たされてしまえば人によってはその欲望は価値がなくなってしまうものでもあります。

私たちは自分勝手でワガママです。それぞれがそれぞれの希望を持っていて、それぞれが自分の世界に生きています。解決方法も人によって違います。ですが、「完璧な精神状態」がずっと続くことはないのです。日によっては疲れていて何もやりたくなかったり、逆にエネルギーがあとからあとから湧いてくるような日もあるでしょう。一旦解決した問題がまた再燃したり、今度は違う問題が浮上したりするものです。私たちは生きている間中、ずっとそのようなことと付き合っていかなければいけないのです。カウンセリングに求める「心の安定」は、もし得られたとしても未来永劫それが続くわけではないのです。生きている限り、新しく何かに出会ったり、新しく何かを知ったり、何かに悩んだりするのです。

それが「生きる」ということである以上、私たちはずっと考え、戸惑い、時には満足し、また求め、ということを繰り返すのです。そうでなければ、生きているとはいえないのです。人生そのものが哲学のようなもので、人生そのものがさまざまな障害をはらんだ旅路のようなものです。「今」の悩みが解決したあとには、また新しい「悩み」が浮上するのです。

私たちがカウンセリングを通じて得たいものは、それらのさまざまな「考えなければいけないこと」、「悩み」、などを乗り越える精神力です。生きることは疲れます。疲れるのですが、その代わりにさまざまな幸せを得られるのです。生きている時間の中で「幸せ」の方が少なかったとしても、私たちはその少しの幸せのために生きていけるものなのです。そのようにならなければいけないのです。

「完璧な状態」などは長くは続きません。必ず私たちは新しい境地に達します。新しい何かを探します。そのためには私たちは「エネルギー」が必要です。それは肉体が健全に活動できるエネルギーであり、その肉体を正しく制御できるエネルギーです。それらのエネルギーを得るために、モチベーションを得るために、私たちはずっと何かを求め続けるのです。そして最期の時に、「これでよかった」と思えるような生き方が出来ればいいのです。生きている間に何が残せるのかわかりません。生きている間に何が出来るのか、それは精神力次第です。ただただ無難に過ごすのか、ずっと挑戦し続けるのか、それはわかりません。人によります。人によって何が幸せなのかということが、違うからです。だから私たちは多様性を保っていられるのです。「人それぞれ」であるからコミュニケーションは面白いのです。人それぞれであるから、さまざまな生き方があるのです。

↑ PAGE TOP