生きていくことは悩むこと

生きるということは、さまざまな苦労を甘んじて受け入れるということです。誰もが安息を望み、誰もが自分だけは幸せでいたいと思うものです。

人生は一言では語り尽くせないほどさまざまなことが起こります。私たちは「毎日退屈だ」と感じたり、逆に「少し休みたい」とさまざまなことを考えながら生きています。毎日同じことの繰り返し見えても、実は多様性に満ちていて、私たちがその気になれば毎日新しい発見をすることもできるのです。

私たちはさまざまな人とふれあい、関わり合いながら歳を重ねます。さまざまな人とコミュニケーションを取りながら、さまざまなことを考えながら生きています。その中で私たちはさまざまな「答え」を得ます。「幸せになるためにはこうする方がいい」とか、「自分はこれが向いている」とか、「自分にはこれはもったいない」とか、そのようなことです。そのようなことのひとつひとつを考えながら、また改めながら、その時の「最善」を尽くそうとしているのです。

私たちは「自分」に対して「どのような人間か」をということを定義することを求めます。自分の性質、器、好みなどを自他共に認める形で意識したいのです。私たちはそれら一連の「答え」によって「自分」という人間をより深く考えることができるのです。そして、さまざまなことに対してそれを照らしあわせ、「これは向いている」とか「これは得をしない」などの指標にしようとするわけです。

ただ、この「自分の定義」を誤ってしまうと、社会に対して臆病になりすぎたり、「何もできない」と感じたり、「自分には価値がない」などのネガティブな思考に陥ってしまうこともあります。そのようなマイナス思考が一定のラインを過ぎると、私たちは「自分の再定義」をする必要が出てくるのです。

その自分の再定義が「カウンセリング」です。自分では「このままではダメだ」とわかっていても、自分ではどうすることもできないような状態、そして自分だけではそれを打破できない状態を、人の力を借りて乗り越えるのです。

人生は長いものです。約「1世紀」ほど生きるのです。それほどの期間があれば、私たちはさまざまな発見をすることができます。さまざまな発明、技術、インフラの整備が整い、時代が変わるものです。生きている間に自分を取り巻く環境はあっという間に変わってしまうものなのです。昔は「正しい」と思っていたことでも、時代を経て「異常だ」ということに変わるものです。時代が流れれば、私たちの「常識」までも変わるのです。私たちはずっとそのようなことを繰り返して生きています。一度得た「答え」は、それがそのまま「変わらない」ということがないかもしれないのです。だから悩むこともあります。戸惑うことねあります。ですが、人間はそのようなことを乗り越えられる「叡智」を持っています。自分だけではどうにもならなくても、その悩みを打破できる知恵があるのです。それらの恩恵を受けることで、私たちは今よりももっと上手に生きることができるようになるかもしれません。私たちの生活は、自分だけでは成り立たせることができません。「社会」という枠組みの中で生きるしかない以上、考え、悩み、社会とともに歩む必要があるのです。

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