学問としての心理学

「心理学」は、人が「こう思う」だとか「こう感じる」だとか、多くの人に適用出来る「心の作用」を分析して体系化したものです。それはガラスを落とせば割れる、であるとか、水は流れる、といった物理を追求する学問にも匹敵するものです。

人の心は多様ではあるものの、学術的に「こう考えるだろう、こう感じるだろう」ということがある程度わかるものでもあります。それによって何ができるかというと、「このような会話のプロセスで心を開くだろう」とか、そのようなことです。カウンセリングに求められるのは「どうしてそうなったのか」ということを探ることです。原因がわからなければ、心に刺さったトゲを抜くことはできないのです。

心理学は「人がこう考えるだろう」というようなもので、心の治療としてのカウンセリングとは少し違います。学問としては「大衆心理」のような部分にまで波及しているもので、「人を救う」という観点に特化したカウンセリングとは少し違ったものですが、カウンセリングには往々にして心理学が応用されています。それは私たちの心の作用がそこにこめられているからで、心の作用の連続で「心にトゲ」が刺さってしまうからです。私たちを救うカウンセリングには心理学の知識が必要なのです。

自分の心の動きが定量化されたり、なんでも見透かされたりすることは少し居心地が悪いものです。ですが、実際のカウンセラーは「なんでもお見通し」というような態度をとることはありません。それは「私たちが不快」になるからです。心のトゲを抜きたいのに、心の傷を癒したいのに、さらに不快になってしまうのでは意味がありません。だからカウンセラーは「私たちのことをよく考えてくれる」のです。カウンセラーが求めているのは私たちが求めていることです。その心のトゲを抜きたい、傷を癒したいのです。

だから私たちはカウンセラーに話す必要があります。自分の心のトゲはどこから来たものなのか、自分の心の傷は何によって生み出されたのか、どうしてこうなってしまったのかを、カウンセラーに話す必要があります。カウンセラーはそれを聞く必要があります。そのような環境を、私たちが打ち明けやすいような環境を、作るのがカウンセラーの仕事でもあるのです。

私たちは心に傷を追ったプロセスを逆から辿り、それを解消する旅に出ます。それを先導してくれるのはカウンセラーです。その道程は人によってさまざまです。経験したことは人によって違うからです。ですから、ある程度までは「心理学」で「なるほど」ということもあるのですが、根本的なところでは「人によってまったく違う」ということになるのです。だからこそカウンセリングは奥が深く、カウンセラーは私たちと同じようにして悩みます。そして「こう考えたらいいのではないだろうか」と、新しい視点を与えてくれるのです。そのような「旅」を得て、自分の心のトゲを自分で抜きます。それは辛いことかもしれませんが、そばには決して道を踏み外さないようにカウンセラーがついているのです。

心理学だけではカウンセリングはできません。必要なのはカウンセラーの献身です。心を遡る、長い旅を共に過ごせる度量であり、正しい道を見つけ出す視野の広さです。

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