文明があるから悩みがある

私たちは生まれた瞬間から豊かな文明の中のひとつの構成員として存在しています。「文明」という単語だけでは、さまざまなことがイメージできると思います。立ち並ぶ建造物、大昔から続く文化などです。

ですが、実は「文明」とはそれらの「物質的な」ものだけではないのです。文明には「豊かな精神性」も含んでいるのです。私たちが持つ豊かな精神性は、ひとえに発達してきた文明のおかげです。私たちが感情を感情として理解していることも、誰かが喜ぶ「善行」も、誰かが嫌がる「悪行」も、すべては文明のなかのひとつの要素です。

生物は何かを捕食してそれをエネルギーに転換して生きています。自然界ではそれは食物連鎖と呼ばれます。より強い生物が、自分よりも弱い生物を捕食して生きているのです。それは自然と摂理とも言うべきことです。そのようにして命が「循環」しているということになります。強力な肉食獣の前では、私たち哺乳類は為す術もなかったのです。それでも私たちが発達し、進化し、今のように地球上に君臨できているのは、ひとえにその「知恵」を発達させたからです。

強力な敵に対して、脅威に対して、知恵を巡らせて立ち向かうことができたのです。同族を「仲間」と認識し、共同することで、工夫することでどのような敵からも身を守ることができるようになったのです。それが「文明」の起源です。他者を他者と理解し、自分を自分と理解し、コミュニケーションすることでさまざまな情報を共有することで、私たちは種として発達してきたのです。

だからこそ弊害として「コミュニケーション」による悩みも生じます。コミュニケーションをとることによって、相手と気持ちの食い違いや価値観の相違などが生まれてしまうことがあるのです。それは人によってはとても苦痛ですし、また、意見が食い違ったときなどはより説得力のある方が議論を制することが多いものです。人によって話すが得意だったり苦手だったりするものですから、それは「自分の能力不足だ」と感じるとともに「ストレス」にもなってしまうものかもしれません。

悩みは、人だから発生するものです。人だから「他人」に対してコンプレックスを抱きますし、肉親に対して情を持ちます。言葉の裏側にあるものを考えたりします。私たちが「悩むことができる」のは、文明を持つからです。高度な知性を持つからです。私たちが高等な生物であればあるほど、その精神性は豊かになり、その分また悩むのです。

ただ捕食して排泄すればいいという、ただ「生きればいい」というだけではないのが私たちです。日々何かを考え、家族や恋人のために心を砕くのが私たちです。だからこそストレスを感じることもあります。だからこそ悩むことができます。カウンセリングを受けようという、それほどの悩みを持つことができるのは、私たちが人間であるから、文明を持っているから、「高度」であるからということです。

それはある意味恵まれていることでもありますし、自分が生きている証でもあります。自分の問題、コンプレックスと向き合うことで、私たちはまたひとつ成長できます。私たちが私たちでいられるのは、そのような豊かな精神性を持っているからなのです。

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